登って「生きてて良かった」著 ジョン ギャスライト

体が不自由でも木に登るのが大好きな彦坂利子さんと友達になって以来、身体障がい者とともに木に登る機会が増えています。僕やツリークライミングジャパンの仲間は、彼らを「フィジカルチャレンジャー」と呼んでいます。

名古屋市昭和区で障がい者が自立するための活動をしている「AJU自立の家」の4人が、わが家の近くの山に初めてやってきたのは、昨年の10月のことでした。知り合ったのは、彼らが名古屋市の「車いすマップ」を製作しているときでした。名古屋の町を車いすですいすいと、まるで泳ぐように動き回っていたのです。

各人の体の状態に合わせて、道具の使い方やセッティングを変え、僕をはじめインストラクターが手助けして登ります。松葉づえと車いすを併用し、4人の中では、障がいが一番軽いという池山さんが、まず初めに挑戦しました。笑っていた彼女も、高く登っていくにつれて、顔が真剣になってきました。太い木の枝にたどり着くと、目を閉じて緑いっぱいの空気を吸いました。

2人目はいづみちゃん。握力と腹筋の力がないということでしたから、上半身にもベルトを着けて登りました。木の下を見た時、彼女の目には喜びがあふれました。いづみちゃんは小学校6年生で車いすを使うようになりました。幼いころ、フジだなや大きな木に登ったり、校舎の3階の窓に座って先生にしかられたりした時のことを思い出したといいます。

ちかちゃんはまず、木の下にたどり着けるかどうか、を心配していたそうですが、無事に登ることができました。木の上で、きれいな緑色のコケをみつけ、「いろんなところに命って芽生えるんだな」と話しました。

 この日ただ1人の男性の井上君は、生まれつきの脳性まひでした。しかし、木登りをするのが子どものころからの夢だったといい、4人の中では一番障がいが重かったけれど、真っ先にツリークライミングしたいと手を挙げたのは彼でした。彼が木の上で言った「生きててよかった!」という言葉が、いまも僕の心に響いています。

体に障がいがあっても、いつも元気だとこんなに前向きに生きていけるんだと教えてもらいました。

=2001年7月25日朝日新聞(東京本社版)
夕刊マリオンから