イチョウ(首かけイチョウ)

去る2007年5月12~13日、東京都千代田区の日比谷公園で農林水産省・林野庁、東京都、(社)国土緑化推進機構、(財)日本緑化センター、東京緑化推進委員会主催の『森林(もり)の市』にツリークライミング®ジャパンも参加しました

ジョンさんのトークショーや、ジョンさんや他のメンバーによるクスノキでのデモンストレーション、更にケヤキでの体験会が開催されました。
 この日比谷公園は、江戸時代には松平肥前守、長州藩毛利家などの所領地でしたが、明治4~28年まで陸軍近衛師団錬兵場として、その後、東京大学の林学の教授である本多静六氏によって「都市の公園」として計画、設計、造成されました。

そして明治36年日本初の16万平米以上の敷地の都市公園「ドイツ式洋風近代公園」として開園しました。

「首かけイチョウとは?」

松本楼横に移植されたイチョウ

ここで有名なのは公園内の「松本楼」脇にある『首かけイチョウ』です。名称だけ聞くと何やらおぞましい話のような気もしますが、内容は全く異なります。
この巨大なイチョウは明治32年頃、当時の日比谷見附(現在の日比谷交差点脇)にあったイチョウが道路拡張工事の際に伐採されようとしていました。そのことを知った東京大学の教授で、「日比谷公園」生みの親である本多静六博士が東京市星亨議長に面会を求め、移植を提言しました。
当時は移植不可能とされていたものを、博士が「首にかけても移植させる」と言って実行されたため、この呼び名となりました。推定樹齢400年、幹周り6.5m、樹高20mの見事なイチョウです

「イチョウの豆知識」

ギンナンのなるイチョウ(Ginkgo biloba)は「生きた化石」と呼ばれたり、葉が広いのに針葉樹に分類されたり、植物なのに精子(精虫)による受精様式を持つなど変わった樹木です。
属名のGinkgo は「銀杏」の音読みGinkyoの誤植で、小種名のbilobaは「二つに裂けた」という意味です。

首かけイチョウは葉が二つに裂けていない

「歴史」

イチョウ類は古生代のデボン紀に出現し、今から一億五千万年前の恐竜時代である中生代ジュラ紀~新生代第三紀まで地球上で繁殖し、氷河期とともに絶滅したと考えられていました。化石では十七属と多くの種があるのですが、現在は中国浙江省付近で生き残ったイチョウ一種のみです。
日本には中国の比較的暖かかったところで栽培されていたものが、仏像と共に中国への留学僧が持ち帰ったという説が有力ですが、日本にも自生していたという説もあり、渡来時期は判然としません。

「名前の由来」

江戸時代、長崎出島の商館医として来日したケンペルやシーボルトは、ヨーロッパでは絶滅したと言われていたイチョウが日本で繁茂するのを見て驚いたそうです。そしてケンペルは1712年出版の『Amoenitatum exoticarum』で銀杏の読みginkyoをginkjoと誤植し、学名がginkgoになったとされます。
漢字で「銀杏」と書くのは、種子が銀(白)色で、外果皮の感じが杏に似ている事から中国の唐宋音で「ギンアン」と読み、江戸時代に寺島良安が編纂した百科事典『和漢三才図会(1712年)』にも「ぎんあん」とルビがふってあります。また、葉の形がカモの脚の水かきに似ているため、宋時代の中国名「鴨脚(ィヤーヂャオ)」をヤーチャオと聞き、イーチャオになりました。ちなみに、現在の中国ではイチョウは成長が遅く実を結ぶのに孫の代までかかるとして「公孫樹」と書きます。

「樹木なのに精子?」

イチョウを世界的に有名にしたのは、明治二九年(1896年)に平瀬作五郎博士による精子(精虫)の発見で、世界中の植物学者を“アッ!”と言わせました。
岐阜中学(現在の岐阜高校)の図面、博物館学の教師であった平瀬博士は、その後、帝国大学に移り、東京文京区の小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)に現在も生きているイチョウから精子を発見したのです。
もともと植物にも雄雌があることが発表されたのは1694年で、植物に精子が存在することはコケ植物であるミズゴケ類(蘚類)で1822年に初めて発見されました。その後、シダ植物やコケ植物では、配偶体の上の造精器で体細胞分裂によって精子が造られ、雨水などがある条件で泳ぎ出すことが発見されたものの、花や種子をつくる裸子植物等では精子はつくらないと考えられていました。
イチョウは雌雄異株植物で、五月上旬に雄木から飛散する花粉は、雌木の花が分泌する珠孔液によって胚珠の中に引き込まれ、八月頃までの間に水分や栄養分の供給を受けて過ごします。胚珠先端部で発芽した花粉管の中で精子が形成され、そこで発育した球形の精子が多数の鞭毛をつかって動き回り受精するのです。

「おわりに」

第二次大戦後、焼け野原から復興した東京都の木がイチョウであり、東京大学の校章バッジがイチョウの葉を組み合わせた意匠になっているのは何かの因縁でしょうか?
こうした歴史ある公園でのイベントにツリークライミング®ジャパンが呼ばれることは名誉なことであり、来年も開催できることを期待するものです。

イチョウの右奥で結婚式をしていました

副代表 川尻秀樹